伊藤 廉著 「絵の話」

伊藤 廉著 「絵の話」(昭和42年発行)、「デッサンのすすめ」(昭和43年初版-共に美術出版社)読んでいます。たいへん古い本です。洋の東西問わず新旧多岐にわたる視野の広さと、柔軟な例え平易な言葉使いで、古さを感じさせません。「絵の話」は、戦争終了1年後の荒んだ時期、少年のために心の潤いになるようなものをと毎日新聞社の依頼を受け、小学生新聞に連載された記事がまとまったものです。冒頭の文章(P10~11)、感動的です。

「はじめに
これから皆さんたちに、絵についてのお話をしようとおもうのですが、それについて、絵がどういうわけだか好きだと言う人には、はなしやすい。絵は好きではないと言う人には、これはなかなか難しいことですが、実はそういう人にも、絵ごころを持ってもらいたいとうのが、僕のお話をしようと思う第一の願いです。皆さんがお父さんの部屋へはいっていったとき、いつもと部屋の様子がちがっていた。それはどういうわけだろうと思って、部屋を気をつけてみたら、床の間の軸が変わっていたとか、お姉さんの机の上の一輪挿しにスイート・ピーがさしてあったので、大へんにすがすがしくおもったとか、そういうことは皆さんたちにあったこととおもいます。そういうことがあれば、皆さんたちに絵はわからないなどとは、言わせない。また、好きではないとも言わせない。それだけで、絵の面白さ、たのしさ、よろこびが起こる下地は十分だからです。木の若葉の緑も花の紅もなんともないのは、動物です。そういうものを見て、何かを感ずるこころをもつことで動物ではなくなるのです。ときどき、会社の重役のような人が、僕は絵はわからないねといって、平気でいる。平気というよりも、絵などと言うものはどうでもいいと考えていることで、自分が豪傑のようにおもっている人があります。困ったことです。絵がわかるとかわからないということは、むずかしく考えてはいけません。若葉の緑、花の紅に、何かを感ずるところで、十分間にあうことです。そういう心が、自分のこころのなかにあることを、自分でわかるようになったのが絵ごころです。重役のような人にそういうこころがないはずはないのですが、大人になって、いろいろの考えができてきて、かえって素直な絵ごころの邪魔をしているのです。
紀平先生(紀平正美1874-1924文学博士、哲学倫理学の本をたくさん書いておられます。)
はこういうことをいわれました。真善美という順を美善真というように置きかえて考えた方がいいと。これは僕たちの考えのたて方は、はじめに美しいものを感ずることから、そのこころがやがて正しいものにつづいてゆくという順序になるということです。美しいものは僕たちにとって、大へんに大切なものです。絵ごころは美しいものを知るこころです。
クレマンソーというのはフランスのえらい政治家です、虎といわれました。前の大戦争のとき、休戦条約ができて、すぐに友だちのモネのところへいきました。モネは池の畔で、柳と睡蓮とをかいていました。クレマンソーはモネの手をとって、戦争は終わったよというと、モネはクレマンソーを抱いて涙ぐんで感動して、何ともいうことができない。2人は抱きあって黙って立っている。
これは大へんに評判がよかったフランスのある芝居の場面ですが、これは政治家や実業家や芸術家が、みな一つにつながったものが、こころにあったことをあらわしているのです。この同じ一つのこころになる土台に、絵ごころがあります。皆さんたちはこれからいろいろの勉強をして、医者になる人もありましょうし学校の先生やお百姓さんや、いろいろの職業をもつでしょうが、どういう職業についても、立派な人になってください。それからみな手をつなぎあい力をあわせていかねばなりませんが、それには美しいものに感ずるこころをみんなが持つことが大切だとおもいます。それが正しい心になります。正しいこころをもつ、それが立派な人です。絵ごころの必要なわけはそういうところにあるのです。」

奇しくも戦後70年を迎えましたが、テロや震災が原発事故と痛ましい事件事故が頻発し、心がささくれ立った現代です。私には、戦後1年目の青年たちに向けられたメッセージが、素直に沁みていくように思われました。やはり時代のギャップのせいか、幾分道徳的で教条的に思われるところがありますが、優しくも厳しいこんな「おじいさん」が存在して欲しい、と切に願います。(太字は、私が引いたものです。)

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