百工房アートスペース(岡山市の絵画教室)

美術がこれから何処へ向かうか?

今回訪問した大地の芸術祭2015、土と水の芸術祭2015、金沢21世紀美術館「われらの時代」展を訪問し、改めて美術の現在を考えてみました。私が実際に見聞きした美術の歴史は、欧米のモダニズムの名残から、ポストモダニズム、アルターモダン、日本では「もの派」、「ポストもの派」、「シミュレーショニズム」、そして福住廉氏が「バナキュラー」というキーワードを提出しています。「われらの時代」カタログの考察によると、一気に進んだ情報機器(スマートフォンなど)によるコミュニケーションの方法がここ10年で激変したことが大きく影響しているとのこと。

今までは欧米を中心にして、核となる美術ムーブメントが起こってきたが、今目立った動きが無い。個人同士がSNSで繋がるだけではなく、グローバルに各国が特に日本ではアジア諸国が繋がっていっています。それぞれが持っていた差異が、加速的に解消されています。その中で福住廉氏が提唱している、これから起こる動きがあるとすると「肉体的であり地域的である」とする「バナキュラー」という考え方には(彼が企画した、大地の芸術祭2015農舞台での「限界芸術展」は見逃してしまいましたが)頷けるのです。差異逸脱をもくろみ続け、それを噛み砕き続けという、動きを繰り返した美術の歴史からは、もうそこしかないのではないか、という気がしないでもありません。

大都市部と地方と生活した私の感想ですが、大都市部ではそれほどでもないのですが地方では美術自体が経済と共に急激に薄まっていく感があります。それに対し地域制の無いネット空間には次から次へと作品が投稿され、プロアマの垣根、表現方法の違いを易々と飛び越えていきます。私も実際「写真そっくりに描く絵」を、オーソドックスな絵の描き方からはありえないことだと攻撃したこともありましたが、このように「圧倒的な数の表現者が乱立する」ネット社会では、「もの派」、「ポストもの派」、「シミュレーショニズム」はおろか、アウトサーダーアート(余り使われない言葉になりました。)、パロディ、二次創作、写真と絵画の違いもイーブンになっていくのでしょう。そこでは今まで権威であったものさえ変質を余儀なくされる、それぞれがそれぞれの立場で差異(自己表現)を作り出していくことが余儀なくされる、そうだとしたらこれは大変な変化です。

その中で、変わることなく持続的であるもの、それが改めて重要視されるということなのかも知れません。美術がこれから何処へ向かうか?私が言えることは、変化を排除せず自分の出来るところで足掻き続けるということだけです。