ドローイング展 作品

先日まで、ささやかではありますが、百工房アートスペースの展示を行っておりました。会期終了に際し、参加された皆様の展示作品を公開いたします。ご高覧いただければ幸いです。
※表記は、以下のように統一しています。
作品画像作品タイトル作家名(ご本人が既に作家名を公開している人のみ)→内容と感想

「おっぱいドローイング」
当教室は社会人の方が多いのですが、この作者も仕事をしながら、クリエイティブな仕事に転職することを目指している方です。柔らかい線が描けない!→柔らかいものを描こう!→私が好きなものを描こう!→それはおっぱいと髪だ!と繋がって来たわけですが、得てして深遠なテーマ「エロス」と「自己表明」にも繋がりました。そのような思考過程を踏んだおかげで、自由な線→自分のルールを作っていくという、この企画に沿った模範作例になりました。
実は、苦労の連続でした。柔らかい線が引くためには、相当の技量が必要です。ダ・ビンチの髪の習作も参考にしながら、何十枚も繰り返し、その中で一番出来の良いものを選び、展示しました。作者の努力熱量共に、最高傑作だと思います。一連の過程がクリエイティブのプロセスとしても模範的なことを含めて、素晴らしい経験が出来たと思います。是非、次回作にも自信を持って臨んでいただけますよう、期待しています。

「魂のうちを廻る」
タイトルからお分かりになりますように、ご自身の内面がテーマになっています。作者は可愛いもの、きれいな女性や花といったモチーフを描き続けてきたのですが、今回「美醜の基準とは何か?」という疑問を持ちました。みんながきれいだと思うことは、それぞれがきれいだと思うこととイコールなのでしょうか? 美醜の基準はそれぞれであり、自分が正直に美しい(面白い)と思ったことを絵にすればいいんだ!と思えたこと、これが最大の成果だと思います。
自由な線は、何か感情の流れといった精神的なものを物質化したように思われます。そして違う性質を持つものが、同時に存在していることも感じられたようです。靉光「目のある風景」は参考にしていますが、誰のためでもない、自分自身の内面を掘り下げていった強度を感じます。このような経験を通して、作者の視点=作品は研ぎ澄まされていくと思いますので、是非、ご自身の手で作品を作り続けていただきたいと思います。

「たゆたゆ」 山吹あらら
少女漫画家からキャリアをスタートした作者の、本領発揮というべき作品です。少女漫画というものは、髪の毛の描写に「命を懸ける」訳ですが、自由な線というテーマに沿って、髪を主題にしてみよう!その髪の毛を自由にレイアウトして背景を盛り上げていこう!ということになりました。雲のようなゆったりとした流れの中に、少女が安らいでいる、とてもロマンチックな作品です。彼女の今までの作品からしても、なかなかの出来だと思います。
彼女は、キャリアの割には自信のない人です。おそらく、家族関係・仕事関係から、自信をズタボロにされたからだと思います(笑)。ご自身の持っているものを丁寧に検討し、客観的に判断すると、自信に繋がるはずです。実は、他人目線をきちんと持つと、自信になるのです。そのためにも、今後デッサン力を益々高めて行かれることを期待しています。

「山間の奇跡」
作者の中では、間違いなく今までで一番いい出来です。自由な線から生まれた、様々な生物たちや泡が、ダイナミックで良い形に描けています。展示に参加するのも初めてで、それも良い経験になったはずです。
作者は、仕事が忙しく、時間的余裕が無いようで、時間が短いながら精いっぱい作品を描きました。不自由な環境で、作品を作らざるを得ない、これは社会人には避けられない状況です。これからの課題としては、まず長期で計画を立て、短期で習慣化して時間を捻出するなど、ご自身のルールを作っていくことをお勧めします。

「少女と木のはかない人生」
作者は最若手の参加者で、今回の展示をきっかけに「前向きになりたい!」ということで頑張りました。若い作者は、上手く行かない度に泣いた!自分の理想を目指して、理想とのギャップに苦しんだ!絵の中の少女の、羽ばたきたくても羽ばたけない様が、作者の思いとダブっています。自分を偽らない、良い作品だと思います。
これからも、作者の夢がはかなくならないように、苦しくなっても後ろ向きにならず、頑張っていただきたいと思います。我々もバックアップしていきます。

 

「アンモナイトの涙」 道綱たけし
ここからは、今回のテーマを自分の作家性に引き付けた、作品が続きます。古代からの時間の積み重なったものがアンモナイト、そこから何か溜まり続けたものが堰を切ったようにあふれ出す、そういう感覚を絵をとしてまとめたそうです。あふれ出したものは、何でしょうか?地球の意思?こういった深いテーマには、重ねた深い陰影が必要だと思います。
作者は線→クロスハッチング→中世ヨーロッパのエイジングな雰囲気ということが、作者自身のテーマとなりました。水の描き方は、ダ・ビンチを参考にしたそうです。中世ヨーロッパというテーマは、多くの作家を引き付けてやまない魅力的なものですし、クロスハッチングも完璧にマスターしようと思ったら、一生かけても足りないぐらいの技ですので、ここから先は作者の追及あるのみです。


「顔ヨガ」 アヤコイシ
相変わらすインパクトがあります。女性はこんな顔をして、毎晩涙ぐましい努力をしている、そうです。女性の皆さん、そうなんですか?
自分自身のテーマであるご自身の顔(?)に、銅板のハッチングのような線で、細かく描写していくことが、展示のテーマに沿った目的です。このように崩した顔でも、目鼻口のポイントを押さえると一段とインパクトの強い顔が出来上がる、そのようなポイントを押さえるにはやはりデッサン力が必要だということ、作者は痛感したと思います。テーマだけでこれだけインパクトが出せるのですから、デッサン力があれば「鬼に金棒」です。

「星めぐりの旅」
過去から現代にいたるまで、時を超え、惹かれあう魂の遍歴。織姫・彦星の系譜でしょうか?とてもロマンチックな作品です。背景の里山風景は、作者の住み慣れた環境でもあるようですが、この風景がいつまでも変わらないで欲しいという、作者の思いも語っていらっしゃいました。心が洗われるような気持になる作品です。
この作品は今回の展示企画以前から始めていたもので、作者は2年に1枚のペースで作品を作っていらっしゃるものですから、まあいい作品なんだからいいじゃないの!ということになりました。このまま染まらず、、と言うべきか?間口を広げた方が、、と言うべきか?私は世界観を持っている人には、どちらも言うべきではないと思います。作者が、自分自身の力を全てぶつけて、自分自身で答えを出すべきです。


「静物デッサン」 1986年 歳森 勲
2浪目最後の頃の、デッサンです。現役の時、「構内のものを自由に描きなさい。」という出題があり、それ以降「自由とは何か?」というテーマを、2年に渡り格闘した結果です。受験というとても制約された「不自由」の中で、このデッサンで初めて「自由」を感じました。このデッサンを展示した意図は、以下の文章に詳しく書いています。

 

表現の自由―ドローイング展に寄せて ※会期中、展示してあった文章

今回、線による自由な表現ということをテーマに、「ドローイング展」を企画しました。作者はそれぞれに、自分の思いや気持ちに沿って、創作をしています。自由なところから始めた創作活動、それはどんなものだったでしょうか?

少し前、大変話題になった「表現の不自由展」は、かろうじて表現の自由を確保出来たようです。この頃、匿名で誹謗中傷を描く人に、IPアドレスから本人を特定し、その人を訴える動きも出ています。訴えられた人の多数が主張するのは「表現の自由」です。表現の自由とは、一体どういうものなのでしょうか?

●人は、本来的に自由である。⇔欲望に任せて、何でもやっていいわけではない。
●忖度は必要ない、その方が健全だ。⇔同調圧力や事なかれ主義といった、世間が許さない。
我々は、果たして自由なのでしょうか?不自由なのでしょうか?
ドローイング展に寄せて、このような問題提起をしたいと思います。

まず、「ドローイング展」のこれまでを説明いたします。自由な発想と想像力で、作品を作っていくことがコンセプトですが、何でもいいという訳にはいきません。それぞれの創作のもとになる、きっかけが見つからないと、何も始められないのです。線に何を見ていきたいのか?何を発掘したいのか?それをどのように発展させていくのか?考えていかなければなりません。これは、自らにルールを当てはめていく作業、といっても良いでしょう。つまり、自由のためには、不自由を課していく必要があるのです。

また、百工房アートスペースのこれまでも説明いたします。百工房アートスペースでは、自由を歌う方針です。そして、アートというものは個々人の行うものということで、マンツーマン方式を貫いています。当初は、何でも自由、その人の描きたいものを実現する手助けをする、というスタイルでした。私は、半ば共同制作式に、生徒の方の作品を手伝っていました。しかし、絵は本来自分で判断し、自分で描くものです。続けているうちに、アドバイスに依存する方も出てきました。自由には、主体性や自覚が必要だったのです。

その後、ご自身で考えていただかなくては、本人の実力を付けてもらわなくては、という方針になりました。自然の流れとして、デッサンを中心としたシステムを取ることとなりました。デッサンで身に着けた実力を活かして、自由に作品を作っていただきたいと思ったのです。しかし、デッサンはとても不自由で、即効性がありません。球や紙コップなど、「面白くない」モチーフを描かされます。その結果としては、生徒の数が激減しました(笑)。自由と不自由どちらも必要だと分かったとしても、どちらが好きかと言われれば自由に決まっています。

自由と不自由との関係は、デッサンと作品との関係によく似ています。そして、デッサンと作品のバランスが取れるようになるには、時間がかかります。それまでは、人それぞれの性格や好みによってどちらかに偏りがちです。デッサン側に偏ると、単なる技術と割り切ったり、発想や想像力を重んじない傾向も出てきます。偏りすぎると、作者が柔軟さを失ったり、活力を失ってしまうことになります。作品側に偏ると、自分にこだわり、感情や気分に流される傾向が出てきます。偏りすぎると、基礎や継続性を軽んじ、作品を完成まで持っていくことが難しくなります。私も振り子のように揺れ続けながら、これまでバランスを探ってきました。

私の出品作は、受験という不自由の中から、初めて自由を感じた時のデッサンです。今回のドローイング展、自由というコンセプトからは逆行する内容ですが、不自由からの自由も重要です。絵では、自由と思った次の瞬間、不自由が現れます。不自由の中から、自由が立ち上がります。不自由から出発して磨いた自由は本当の自由、人から与えられた自由はかりそめの自由、私はそう思っています。冒頭の事例は、自由ということを軽く考えてしまったが故に、起きてしまったことのように感じます。そのことを、百工房アートスペース開催当初、十分に伝えることが出来なかった、それが今では大いに反省すべき点です。

作品がそれぞれの個性を発揮した面白いものになった、ドローイング展は成功しました。しかし、自分でルールを考え、それを課すということは、技術よりずっと大変で時間が掛かることだということはお伝えします。この展示の経験より、自由というものを更に大切に受け止めていただければ、幸いです。

 

まとめ

創作活動というものは、ある時は自由を求め、ある時はルールを求め、波のように行ったり来たりしながら、実体験を通してリアリティーを追及していくものだと思います。岡山で教室を開いた10年を総括すると、誤解を解き、絵は自覚が生み出すものということを伝えるための格闘でした。この展覧会を通して分かったことは、作家を目指す人は、いずれかのタイミングで、最初から最後まで自分で考え作品を仕上げるという経験を、持つ必要があるということです。みんなが夢を目指して楽しく!から始めて、それには何が必要かということを、私自身深めさせていただきました。やはり受け取る力、デッサンです。

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